英語学習にスランプを感じたら

語学の学習は必ず行き詰まる。

勉強をしても、勉強をしても、全然成長していないような気がする。そして途方に暮れる。

私が最近、行き詰まりを感じたのは、とある翻訳オーディションに応募したときだった。

オーディションの結果が返ってきたのだが、その評価が想定していた以上に悪かったのだ。

受験者全体の順位でも下から数えたほうが早いくらい……。

私は必死に頑張ってきたつもりだけど、それでも上には上がいる。かないっこない。

自分なんて、鳥のフン以下だ。

拡大解釈する悪い癖も相まって、そのうちにだんだんと「自分はもう向いてないのかな」とまで思い始める始末。

英文を見ても頭に入ってこなくなり、身が入らず、「このまま続けていても時間のムダではないか?」という疑問が浮かぶ。

私は完全にスランプに陥ってしまった。

今回はそんな私がスランプから脱却した話をしようと思う。

成長は自分で気がつかないもの!?

私は学生時代から、今でも英語を教えている生徒さんが何人かいるのだが、あるとき、生徒さんの1人が「全然、英語が上達しているような気がしない」と言い始めた。

私は「それは勘違いだよ!!!!」と全力で否定した。

お世辞でもなければ、励まそうと思って、その場しのぎで言ったわけでもない。

事実、その生徒さんは明らかに成長していたのだ。

初めて出会った頃に、一緒に取り組んでいたのは、中学生の文法だった。正直いうと、中学レベルの単語もあやうかった。

それが今では、辞書を引きながらではあるが、ニュースや小説をひととおり読めるレベルにまで成長していた。

それに質問の内容も、初歩的な文法のことではなく、単語のニュアンスなどを尋ねるようになった。

そう、目覚ましく成長していたのだ。なのに、どうして成長が実感できないのだろう……。

そして私は、自分自身の語学の成長プロセスを振り返ってみた。

成長とは、らせん階段をのぼっていくことである

語学学習は成長が見えにくい。

事実、翻訳家として膨大な量の英語に触れている私であっても、自分なりの課題を多々持っているし「どうして毎日こんなに英語に触れているのに、英語が使いこなせないのか…」と嘆きたくなるときもある。

だけど、確実に成長はしているのだ。

私がそれを実感したのは、とある会社からの依頼で「東大英語の入試問題」の和訳作りを依頼されたときだった。

この訳を作りながら私は「高校時代の私だったら、東大の英文なんて、とてもじゃないけど読めなかったよな」と感慨深い気持ちになった。

高校時代の私よ、よく聞け。
今の私は、東大入試の英文も余裕で訳せるぞ!

そう思ったら「私、ものすごく成長してる!!!!」と驚いた。

だって、昔の私は、高校の教科書の英文すらロクに読めなかったのだから、そこから考えると大進歩ではないか。

そして、気づいたのだ。語学学習の成長プロセスは、らせん階段をのぼるようなものだと。

のぼっている段階では、上にあがっている気がしない。グルグルと同じ場所を回っている気がする。

でも、ある時点で下を見ると、自分が高いところに来ていることがわかる。

だから、語学学習とは成長が感じられなくて当たり前なのだ。

大切なのは、足をとめないこと。

足をとめなければ、ある一定の時点で下を見ると、必ず成長している自分を実感できる。

スランプに陥っても、続けることにフォーカスしよう!

「成長は見えない」そう割り切ってから、私はスランプから脱却できた。

成長するためには、足を止めないことが何より大事だからだ。ウジウジして歩みを止めている暇なんてない。

どうしたら、もっと楽しく続けられるか。
新たなやり方を取り入れてみるのはどうか。

スランプを感じるときほど、投げだしたくなってしまうが、スランプのときこそ「楽しく続ける方法」を創意工夫してみてほしい。